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享保年間の1724年に塩釜の地で創業し、300年の歴史を紡いできました。現在の酒造りの基礎となっているのは日本三大杜氏の一つ、南部杜氏の酒造り(※)です。戦後間もない1949(昭和24)年、後に吟醸造りの名人と称される平野佐五郎が杜氏に就任し、低温で長期の発酵によるほど良い香りときれいな酒質が特徴の南部杜氏流酒造りを極めていきました。
佐五郎が浦霞に来て最初に行ったことは、蔵内の徹底的な清掃でした。微生物を扱う酒造りにおいて大前提となる衛生的な環境づくりであることはもちろん、酒造りに真摯に向き合う姿勢を示し、蔵人たちの気持ちを引き締める意味もありました。それは、佐五郎の甥で後に杜氏を継ぎ、半世紀以上にわたり浦霞を支えてきた平野重一から、現在の杜氏たちにも受け継がれています。
酒造りで重要な順番を表す「一麹、二酛(もと)、三造り」という言葉がありますが、吟醸造りの基本となる麹造りに心血を注いでいた佐五郎、重一は、その前工程の洗米、蒸米といった原料処理にも神経を研ぎ澄ませていました。総括杜氏の小野寺が入社した昭和50年代後半、洗米場では蔵人がひとつひとつの作業を間違わないよう集中し、張り詰めた緊張感の中、重一が目を光らせ、ざる洗いの音だけが響いていたと言います。
佐五郎、重一が蔵人に浸透させたもう一つの大事な精神は「探究心」。毎年同じことをするのではなく、新たな手法で良いものは取り入れ、しかし守るべきは守り、常により良い品質を求めて試行錯誤を繰り返す姿勢を蔵人に伝えました。それは、重一が遺した「酒造りは毎年が1年生」という言葉にも表れます。酒の原料となる米の出来は毎年異なり、麹や酵母も生き物であるがゆえ振る舞いがその時々で微妙に異なり、冷暖房の設備が調っていない時代は気候にも大きく左右されました。前の年がうまくいったからといって次の年もその通りにすればうまくいくとは限りません。基本を丁寧に積み重ね、探究心を持ち、杜氏と蔵人が同じ思いで取り組む。それが浦霞の酒造りの根幹にあります。
平野流の酒造りを受け継ぐ浦霞の酒は、佐五郎の代から各種鑑評会で高評価を得て、現在も全国新酒鑑評会の金賞、南部杜氏自醸清酒鑑評会や東北清酒鑑評会の優等賞、さらにはインターナショナル・ワイン・チャレンジや全米日本酒歓評会での受賞など、海外でも実績を重ねています。
中でも全国新酒鑑評会において、浦霞本社蔵は金賞受賞回数が全国でもトップクラスの記録を誇っています。金賞受賞は「最高品質の酒」を追求する上での一つの重要な指標と考えており、平野流を受け継ぐ蔵として吟醸造りを極めるべく、杜氏以下蔵人たちが熱意を持って取り組んでいます。
「酒造りは人づくり」。杜氏の思いを蔵人それぞれが理解し、同じ気持ちを持って自らが担当する工程に真摯に向き合い、基本に忠実に、当たり前のことを丁寧に行う。特別なことではなく、平野佐五郎、重一から受け継がれたその精神こそが浦霞の酒造りの根底にあるのです。
※南部杜氏の酒造り
現在、浦霞では6名が南部杜氏資格を取得して酒造りに取り組んでいます。本社蔵副杜氏 鈴木智は、岩手県出身者以外にも初めて受験を認めた1996年に南部杜氏資格選考試験において合格し、岩手県出身者以外で初めて南部杜氏の資格を取得しました。