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浦霞禅の歴史

01.時代背景(1970年代)

「浦霞禅」が発売された1973年。
この年は、原油価格高騰による
第一次オイルショックに見舞われ、
エネルギー源を石油に頼っていた日本は
経済的に大打撃を受けました。
ガソリンやトイレットペーパー等が
不足するという危機感により、
買いだめ客が殺到し各地でパニックが発生。
卸売・消費者物価がともに急上昇し、
1955年から約20年続いた大量生産・大量消費の
高度経済成長期は幕を閉じることとなりました。


1970年前半の浦霞


02.「浦霞禅」の誕生

1967年頃までには、
浦霞は各種鑑評会や品評会で受賞を重ね、
特に吟醸造りに高い評価をいただいていました。
しかしながら、吟醸酒は鑑評会用のために造られ
市販されることが殆どない時代。
浦霞が得意とする吟醸造りでいい酒を造っても
一般のお酒へ調合し販売している状態でした。
「それではもったいない、『吟醸酒』の味わいを
日本酒ファンの皆様にどうにかお届けできないか」と、
十二代目蔵元 佐浦茂雄は考えていました。

12代目蔵元 佐浦茂雄(左)と名誉杜氏 平野重一(右)


1972年、佐浦家と縁の深い松島瑞巌寺出身で
京都妙心寺の僧侶から
「フランスでは『禅』に対する関心が高まっていて、
今度パリへ禅の布教に行くんですよ」と話を聞きました。
「では、ラベルに禅画をあしらい『浦霞禅』と名づけて
フランスへ輸出するからPRしてください」と、
茂雄は冗談半分で返します。
その会話がきっかけとなり、「良い酒を四合瓶に詰めて、
それを『浦霞禅』と名付けて売り出そう」という
冒険的な取組みに繋がり、ここに「浦霞禅」が誕生しました。

当時は手続きが煩雑だった為、
結果的にフランスへの輸出はかないませんでしたが、
1973年には国内で発売することとなりました。


03.ラベルについて

発売にあたり、
妙心寺派管長 梶浦逸外老師に「禅」の書をお願いし、
経済学者でありまた禅画家・禅芸術の研究家でもあった
淡川康一氏の「布袋画」と組み合わせてラベルと化粧箱を製作。

現在の「浦霞禅」の文字は、
松島瑞巌寺百二十八世住職加藤隆芳老師に書いていただき
現在に至っています。
このユニークな布袋画は「浦霞禅」の象徴として、
今もなお愛され続けています。

発売当時の「浦霞禅」


04.浦霞の看板商品へ

「浦霞禅」の発売にあたっては、
「酒好きの人に一度飲んだら気に入って貰える酒」を目標に
「丁寧に造って丁寧に売る」という考えのもと、
テレビなどのマスメディア広告を使わず品質本位、
気長に販売していく方針を立てました。

地酒ブームの到来もありその方針が功を奏し、
酒好きの間のいわゆる口コミで販売数量も次第に増え、
「浦霞禅」は浦霞の看板商品へと成長しました。

当時は吟醸タイプの市販酒がほとんどなかったこともあり、
「浦霞禅」はそのさきがけとして、
地酒ブームを牽引する商品となりました。


05.「浦霞禅」の変遷

「浦霞禅」は、発売から今に至るまで、
『味と香りの調和のとれた、米の旨味がほど良く感じられる
飲み飽きしない食中酒』をコンセプトに
酒質向上に取り組んでいます。

発売当初は、香りの高さとスッキリとした味わいを目指して、
酒造好適米である「広島八反」を使用し
低温長期醗酵で醸したアル添タイプの吟醸酒でした。
昭和50年代に入ると時代の変化に合わせ、
地元産の「トヨニシキ」を使用した「純米吟醸酒」へと
造りを変更しています。


後により味わいの幅をもたせるために
麹米を兵庫県産「山田錦」の使用に切り替え、
近年では上槽後の火入れや貯蔵管理も見直し、
2021年からは加熱処理にはパストライザー方式(*1)を採用し
瓶貯蔵での低温管理を行い、
フレッシュ感も残るバランスの良い香味を実現しています。

「浦霞禅」は根幹を大事にしながらも酒質向上の取り組みを続け、
時代とともに変化する消費者のニーズにも対応してきました。
この50年間にわたり努力を続けて来たことが、
皆様から長きにわたり支持いただいてきた理由であると感じています。
これからも皆様に愛されるお酒を目指し、「浦霞禅」を醸し続けます。

1 瓶詰・打栓したお酒を温水シャワーで加熱殺菌し風味を閉じ込める方式。
詰めたままの酒質を保ち易いというメリットがある。

純米吟醸
浦霞禅

ほど良く香りが立ち、フレッシュでふくらみのある味わいの純米吟醸酒。